ロータリーの歴史

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ロータリーの起源

Paul P Harris ポール・ハリス1900年初頭第2次産業革命が終わり当時アメリカでニューヨークの次に大きな都市であったシカゴでは、急激な経済成長とともに移民などで溢れるほど増加した人口とそれによる軋轢からの社会問題が深刻化していました。人種差別や格差社会、雇用環境の低下や犯罪件数の増大によって地域社会が混乱していた状況のもと、弁護士であったポール・ハリスは同職で友人であるボブ・フランクの地域住民との生活面や仕事面での密接な友好関係を目にしました。そのような良好なつながりを構築するため、1905年2月23日にハリスは法律事務所の顧客3人と共に集会クラブを設立しました。集会を会員が持ち回りで催したことからクラブ名をロータリー(輪)と名付け、集会による親睦と相互扶助を信条とし、会員を増やしてクラブを大きく成長させました。また、クラブの理念として社会的責任を自覚し公益なクラブへと活動指針を発展させました。このクラブ理念は国際的に受け入れられ世界に広がり奉仕活動の実績を多く残し現在に至ります。

日本でのロータリーの誕生

Paul P Harris ポール・ハリス日本初であるロータリークラブは米山梅吉によって設立されました。米山はアメリカ留学後、勝海舟に師事し、三井銀行に入行しました。1918年1月、米山は財政調査団に加わって渡米するなかテキサス州ダラスのダラスロータリークラブで日本人初のクラブ会員である福島喜三次に出会い、初めてロータリー運動に接し、そのクラブ理念に大きく感銘を受けました。 帰国して2年余、米山は在日米国実業家ウォルター・ジョンストンの応援を得て1920年10月20日に東京ロータリークラブを設立し初代会長となり、幹事には帰国した福島喜三次と他3人が選出されました。それから国際ロータリーのシカゴ本部に加盟申込書を送り1921年4月1日に承認されました。(米山は1924年には日本初の信託会社である三井信託株式会社を創立し初代社長に就任しています。)

日本は第2次世界大戦後には国際ロータリークラブから脱退することがありましたが、その間もよくロータリーの精神を堅持して会合に努め、戦後国際ロータリーに復帰したのち益々クラブを発展させ全国にクラブを広げました。

奄美中央ロータリーの設立

奄美中央ロータリークラブは1979年(昭和54年)4月21日に名瀬中央ロータリークラブとして発足しました。2006年の市町村合併によって名瀬市が奄美市に変わりクラブ名称も奄美中央ロータリーへと変更しました。